会長プロフィール

中澤 公誉-極真館より提供-

三代目 中澤 公誉

1985年 長野県佐久市生まれ 1994年に入門。2000年初段取得。 人との繋がりを大切に考え、周囲に心配りを忘れず、礼節を重んじる姿は、東眞會内だけでなく、他流派でも好感をもつ人が多い。

選手としては、先代会長 鈴木最高師範と小山師範の指導を受け高校生の頃より頭角を現し始め、「全中部大会高校生の部 優勝」「全日本空手道選手権大会 高校生軽量の部3位」など安定した実力を発揮してきた。 また、大学生となり長野を離れるがキックボクシング部に所属しながら稽古を重ね、空手に選手として大会に挑戦し、2005年に行われた「全日本ウエイト制空手道選手権」で軽量級3位。

同年ロシアで開催された「全世界ウェイト制空手道選手権」の軽量級の日本代表に選出された。この頃より、当時の極真館東京本部(現極真拳武会)「極真空手の名伯楽」 と言われた初代会長 廣重 毅先生の元、全日本チャンピオンが多数いる道場で稽古を積み、競技としての空手だけでなく、様々な事を学ぶ。 更に「全日本オープントーナメント空手道選手権」(体重無差別)では軽量級ながら6位入賞となり、特別賞も受賞した。


-極真館より提供-

-@キベジュンイチロウ-

-@キベジュンイチロウ-

2007年には「全日本オープントーナメント空手道選手権」(体重無差別)で7位入賞と技能賞を受賞。この成績により、翌年の「全ヨーロッパ空手道選手権」の出場選手となり、海外の強豪を相手にベスト8まで進んだ。 2008年「全日本ウエイト制空手道選手権大会」で軽量級準優勝、同年ハンガリーで開催された「全世界ウェイト制空手道選手権」の日本代表となり、2大会連続の出場を果たす。 この大会では、4位となり大会に参加した日本人選手の中で最上位となった。

高校生の頃から積極的に指導の場に立ち、子供たちや一般部の指導もサポート2007年より、上田支部長に就任し、自身の経験に基づいた懇切丁寧な指導は老若男女問わず、個人のニーズに合った内容となっており非常に人気が高い。

2020年に、二代目会長 鈴木美智男最高師範より、三代目会長を拝命する。

前会長プロフィール

東眞會前会長 鈴木美智男

東眞會前会長 二代目 鈴木美智男

昭和35年1月6日 長野県小諸市に生れる。父(那覇手)、兄(那覇手・剛柔流)ともに空手をおさめた武道一家に育ち、7歳から兄の指導により空手の道に入る。12歳の時に、直接父への指導を請うが、父の薦めにより当時有名になりつつあった、極真会館に入門。1日3時間以上の稽古をこなす。中学3年生の時に、大学空手部の他流黒帯と試合し、30秒でノックアウトするなど、早くから他流試合を重ねて勝ちをおさめ「長野の天才児」と、故大山館長から称賛される。中学生から柔道、合気道、ボクシング、中国拳法等を学びながら他流試合を重ね、独自の空手理論を打ち出し、修行に励む。

飛び蹴り19歳の頃、体調を壊し自身の修行を一時中断し、その間、格闘技の研究や原始仏教、教育問題等の研究に専念する。昭和56年、体調が復調したのを契機に、空手時代の後輩らと『東真カラテスクール』を設立。更に研究を重ねながら、空手道を通じて青少年の育成に当たる。昭和59年名称を『空手道東眞會』に改称。初代会長に父親である鈴木義一に就任してもらい、父親の長年の悲願だった、新流派としての独立を果たした。実戦にも十分通用しうる、全く新しい空手を目指し、研究、指導に専念するようになり、武道論、精神論も含めた、その独特な指導には定評があり、子供から年配者まで、多くの道場生達から信頼を受けている。

また、従来の空手、中国拳法に伝わる「ほねつぎ」的治療を発展させるべく中国に留学、東洋・西洋医学を学び、専門医の資格を得て空手の指導にも生かしている。中国留学中に気功も修行。有名な武当山龍門派より第十九代功法傅人を拝命する。現在、「武道教育推進連盟理事長」「空手道東眞會会長・範士八段」「日本健康気功協会会長」「日本整体療術学会理事」「自衛官募集相談員」等の要職にあり多忙な日々を送っている。

また、医学知識を買われ1996年よりテレビの健康番組の企画・構成や、新聞・雑誌での執筆の仕事にもたずさっわっている。現在は西軽井沢在住。

総本部道場での紳一郎顧問鈴木会長と兄紳一郎顧問が神社で稽古

上記の写真は、若かりし頃の鈴木会長と兄紳一郎顧問が神社で稽古を積んでいた頃の貴重な一枚です。なお、紳一郎顧問も現役時代には大会に出場し好成績を収めていました。
もう一枚の写真は総本部道場での紳一郎顧問です。